スクラップ

読んだ本こと、聴いた音楽のこと、日々の生活の中で
印象に残った出来事について書いていきます。
−にとべさん−



スクラップ’04



【善意という事の難しさ】

ボランティア・チャリティー・募金など、いわゆる無償の行為に対して以前からずっと違和感を持ち続けている。つい先日、チャリティーをめぐるちょっとしたトラブルに遭遇(間接的に)したので、自分の気持ちを整理する意味もあり、その違和感について書いてみようと思う。

まず最初に書いておきたいのは、ボランティアなど無償の行為を否定する気はまったくないと云うこと。逆に、実際に行動できる人に対し、尊敬する気持ちが強いくらいだ。では、なぜ違和感を持つのかと云うと、それが誰も否定する事の出来ない正しい行為だから。

ボクがいつも思い云ってる事だが、人間の心は弱いもので、自分が全面的に正しいと思う事をやり続けていると、自身を疑うことを忘れ、いつしかその正しい自分に酔ってしまう。そして自分がしている事は、こんなに良い事なのに、他の人はどうしてしないのだろうか、と考えはじめる。その結果、周りの人に「アナタはどうしてこんな良い事をしないんですか? 一緒にやりましょう!」と勧める。

ボクは、こうしてヒトに勧めた時点で、もうそれはボランティアではなくなっている思う。たとえそれが善意であったとしても……。なぜなら、その行為を必要としている人に対する距離感は、人それぞれに違うから。「いや違うんだ、じっと黙っていてはお金なんか集まらないんだ」「売名行為だと云われるくらいでないとボランティアは成立しないんだ」という事情は判っているツモリだし、「共感した人だけが協力してください」という形でやっている人達がほとんどだと思う。

でも、ボランティア・チャリティー・募金をしている人に、そのニオイをどうしても感じてしまう。だからボクは、ヒトがやっているそれらの行為に協力するのではなく、自分の事として感じられる時にだけ行動を起こし、自分ひとりでやっていきたいと思う。一人で出来る事なんてしれてるけど。

05/03/04

【「地球に優しく」の嘘っぱち】  旧・日記〈徒然に…〉2004/11/05(金)より転載

今の季節、自転車で走るのには最適です。のんびりと周りの景色を見ながら走るのもいいけど、少しスピードを出し風を切って走るのもいいです。少し汗が出て心地いいし……

ボクが自動車に乗らず自転車だけで暮らしていると知った人から「それは地球環境のためですか?」と、たまに訊かれます。でもボクは、そんなことはまったく考えていません。だって地球(自然)は、そんなに弱っちいモノではないから。そのことは、今年多かった台風による被害を見ても判るし、先日の新潟地方をおそった地震の被害を見ても判ると思います。そう、自然は無慈悲です。自然の力にかかれば人間なんて、ひとたまりもありません。
最近、よく云われる「地球に優しく」とか「自然に優しい」などという考え方は人間の思いあがり以外のなんでもないと思います。逆に、そういう考えが地球環境を、どんどん悪くしていくのではないでしょうか。

地球(宇宙)の歴史と比べると人間の歴史など、ほんの一瞬です。人間が今この地球で生きているのは、地球の自然環境が人間が生きることの出来る条件と、たまたま合っていたからです。だから正確に云うと、人間は地球に生かされているわけです。長い目で見ると、この先地球環境が人間が生きることのできる条件と合わなくなり、地球上から人間がいなくなる時が必ず来るでしょう。でも、その後にはその条件に合った生物が出てくるはずです。それが自然の摂理だと思います。

そういう意味では「地球に優しく」ではなく「人間にとっての、地球に優しく」と言い換えることが出来るかもわかりません。といっても、人間も生き続けたいわけですから、自分達にとって都合のいい環境を保つことに努力をするのは当然だと思います。でもその為に、今の便利な暮らしを手放したくはない……。難しい問題です。ほんと。

日頃漠然と考えていることを言語化しようとしたら、なんの宗教や?という感じの暗い内容になってしまいました^_^;
そこのアナタ、引かないで〜(笑)

05/03/04


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